寺ヨガリトリート(2日目)
二日目。
4時半に起きてアシュタンガ自主練組
寝てる組
私は、寝てる組 w
5時半に起き、わんこ達とお散歩
わんこ達にちょっとビビるしほさん
朝ヨガ。
ブラブラ腕をふる..
力を抜く..
なんだか獣になったような気分。
戻ってからは、
ヨガをしたり、語り合ったり。自由に。
わたしは珈琲が美味しすぎて、ぼーっと。☕
入り口のソファーで。珈琲飲みながら、K子さんとRさんと、ゆったり話をする。二人の空気がとてもあたたかく、心地よく、いつの間にか、すごく自分の深いところまで出していて、涙を流しながら語る。私、泣きすぎ。
なんなんだろうこの旅は。デトックス感がすごい。
そして朝の読経。
前の方に座っていいですよ~との住職の言葉に、K子さんと思いっきり前に入り、迫力たっぷりのお経を聞くことができた。
座禅。
丹田のお話。
海の深いところに行くイメージ。
波も立たない、光も届かない、静かなところ。
それが、自分。
まわりの何かに影響された【わたし】ではない、本当の自分。
半眼って、難しい。
この間ユキオ先生の講座で勉強したドリシュティも、難しいと思った。
私は、いつも細かく視点が揺れてしまう。
すぐ、なにかを追いかけてしまうから。
住職が前を通るときに合掌すると、叩いて欲しい合図になるとのこと。もちろん、合掌。
音はなかなか大きいけれど、痛みはあまりない。やりかたというものがあるんだろう。型。
その後は、
それぞれの、時間を。
閻魔堂を見ながら、宿坊に帰る
相当年期の入った仏像が、たくさん
江戸時代に作られたとか?
私はやっぱり
閻魔さまが、好きである。
そして朝食。幸せしかない。
正直、精進料理って質素な感じで、あまり美味しそうなイメージがなかったけど(勝手な想像)
こんなに美味しいのかとびっくり。本当に。
出汁は何でとってるんだろう?住職にお聞きすれば良かった。次回聞いてみよう。
外に出て食べたり。中で食べたり。
最後までヨガる。
あぁ、帰るのか。もう帰るのか。
ご一緒したみなさんと。
また、次回✋
(10月ですよーーーみなさん❣️)
(写ってないと思って気を抜いている、わたし)
ヒキザンガヨガ
寺ヨガリトリート(10/19~20)
ご予約は
寺ヨガリトリート(1日目)
6/1~2
秩父、天空の寺・大陽寺。
私が学んでいる【ヒキザンガヨガ】山本志帆先生主宰の寺ヨガリトリートへ、スタッフとして参加してきました。
池袋にて、志帆先生と待ち合わせ。
なぜかバラバラに特急券を買ってしまい別の号車に座ったところからのスタートでした。😂
西武秩父駅へ到着
そこから貸し切りバスで、大陽寺へ。
山を登り、登り、どんどん電波が届かないところへ..
大陽寺は、700年の歴史があるお寺です。
まずは、お堂へ。
自然に浮かんでいるような景色です。
あぁ、だから天空なのですねと納得。
清流の音と、鳥の鳴き声。
葉っぱがこすれる音。
まず、写経
住職のお話。
筆先を見ます。そして、背景を見ます。
どこに意識を向けるかで、見える景色が変わることを体感します。
【スダルシャナヨガ】ユキオ先生の教えを思い出します。
半紙をお手本に重ねて、なぞっていきます。
筆先に意識を向けて、ひらすら集中。
最後に名前とお願い事を書きます。
お堂での、ヨガ
横になったときの静けさ。
夕方も、気持ちいい空気
お風呂はなんと浅見住職の手作りです。
読経。鐘(?)の音、住職の迫力ある声が素晴らしく合わさります。
「間違えてもいいので、大きな声で読みましょう」と住職が仰ってくださったので、ただ一生懸命に読みました。自分の声がどんどん強く、大きくなって、涙が出そうになったのはなぜなのでしょうか?
そして、住職手作りの精進料理。
美味しすぎて、大感激。みんなも大感激。
山本志帆先生の講義。
みな、真剣な眼差し。
ヨガとは何か。
何のために、ヨガをするのか。
アートマンとは。
無意識と、有意識。
21時からは、法話の時間
住職に質問が出来ました。
悩み事や、死後のこと。「無」「空」についてなどの質問が出て、住職はそれに対して難しい答えではなく、生活の中で自然と感じられるような、分かりやすい言葉でお話ししてくださったので、みなさんの心にもスッと入ってきたようです。
その後
希望の方は、陰ヨガ。
テレビもネットもない、静かな夜。
そのまた後、有志(笑)で、また深い話。住職に、こんなこと聞いたら可笑しいかな?ということまでお聞きして、あたたかいお話しをたくさん聞いて、穏やかな気持ちで、就寝。
二日目に続く。
自分の容量
最近、ブログがなかなか書けなくて
やろうとしたのにやらなくて
甘えてるって思って
でもなかなかやれなくて
自分にイライラしたり、がっかりしたりしていた。
先日から
やると決めたことができなかったり、
約束を忘れたり、
忘れ物が多発したり、
勘違いが多かったり、
そんなことが続いて
自分が今、キャパオーバーだということが分かった。
いやー、気付くの遅いなぁ。🐌💨
自分はもっと出来ると思っちゃってるから、
ここまでだってとこが分からないんだろう
前よりは、ずっとずっと
自分のことを分かって、
自分に寄り添えるようになったと思っていたけれど
まだまだだということを知った。
そんなこの頃。
声とチャクラ
先週から声が出なくなった。
風邪から声帯に炎症がおきただけなんだけど、5日目の今、まだ治らない。
大切なプレゼンも出来ず、仕事も休み、楽しみにしていた予定もキャンセル。
月1のアシュタンガヨガ講座は話せないスタッフとして参加し、気遣いもほとんど出来ず、自分に負けたような敗北感と共に、そもそもいつも何も出来ていないじゃんと思う。
何度も特別な何かが出来る自分を期待している【わたし】を見た。
声が出ないと人にこのタイミングで声をかけたい、というときに出来ないということを知った。
コミュニケーションについていかれず、孤独だということもわかった。
病院でも、はいの一言が言えないだけでお互いとても手間がかかるし、症状を紙に書いて知らせても、補足を説明するときにまた時間がかかる。忙しい人たちに、面倒くさいなというエネルギーを感じる。あ、これは解釈だな。私自身が面倒くさいのだ。
私には声があまり出ない甥がいるんだけど、その子の気持ちにほんの少し寄り添えた気がした。ずっとずっとこうなんだ。って。辛い。
私は子どもの頃から喉と首がとても弱かった。扁桃腺も限界でとったし、その傷口がふさがらず再手術もした。甲状腺にも線腫があり、健康には問題ないが、定期的に検査をしている。パニック障害のときも、喉を締め付けられる感覚があったし、幼い頃から繰り返した金縛りでもいつも喉を押さえつけられている感覚があった。
ヨガを本格的にはじめてから高熱で寝込むことはほとんどなくなったけど、それまでは月1でやらかしていた。
のど=第5チャクラ、ヴィッシュダ
→自己表現、創造性の開花
ぴったり、私が弱く、今チャレンジしているところ。
『わたし』はまだ抵抗しているのか。
その理由はいくつも思い当たるけれど、なぜ?の繰り返しの最後にたどり着くのは共通して何者でもない自分を完全に受け入れていないことだった。
はっと気が付いて捨てる。この繰り返しの作業に終わりはないのだと思いながら、わたしの無意識はいつになったらわかってくれるんだろうかとも思う。
喉をもっときちんと大切にするという決意と共に、わたしの弱さも受け入れ、打破していくことを、今、741Hzのソルフェジオを聞きながら決めた。
ゆらぎ
ヨガ→サットサンガ→mtg→歯医者
→帰り道←イマココ
本日のタダヨガ
Key先生 の『ゆらぎヨガ』に参加。
何だか疲れているけど、今日は比較的元気と思っていた私は、クラスが始まると勉強モードに。
ふむふむと聞いていたのに、先生のナビで自分と向き合う時間が来たら急に不安と悲しみが襲ってきて。
あれ。私今あのことも、このことも、不安でとても焦っているんだ。という発見。
自分が悲しくなると、とても辛く情けない気持ちになる。
(私の潜在意識ちゃんはできないくせに、しっかりしたいから。その理由も掘り下げてるけど長くなるのでまた今度)
だから、そんな気持ちから目を背けたくて、心は大丈夫!と感じようとする。
自分で気がつかないうちに心に嘘をついていること。それに気付いて、感情を解放すること。何度もそのくだりをやるのに、またやっちまうこと。繰り返し、繰り返し。
以上が今日の私の
『自分に寄り添うヨガ』
#ヨガ #潜在意識 #デトックス
#ヨガ哲学 #カルマヨガ #心と体#ゆらぎヨガ #タダヨガ #ヨガインストラクター #感情を味わう
自分で決める
タダヨガレッスン後にmtg。
最近は、私に何が出来るんだろうかとか、どうしたら答えられるのだろうかとか、そんなことはどうでもいいということが分かった。
そもそも何かを期待されてるという思い込みも自意識過剰の解釈でしかなく、私に何が出来るのかなんて考えこむ前に、まずは問題の解決策を考えて行動すること。
分かったと言いながら、またすぐにその解釈にのまれ自分に期待する私に、全然分かってないぜと感じる。
今日も自分の言葉にまた無意識を拾う。くだらない質問をする、ズレた返答をする、本質を見抜けない、端的に話が出来ない、準備が足りない自分を見る。
ここで自分は情けなくダメな人間のだというジャッジはしない。「私は私、これでいいのです」とも思わない。自分から出た無意識を掘り下げ、できない事実を受け止め、ただ課題に取り組んでいく。懸命に取り組んでみてからもう頑張れないと思ったらやめるのも自由で、自分で決めることだ。やりたいからやる、それだけ。
無意識を意識化すること
メンバーとのサットサンガ。ここのメンバーは一言で言うと「ガチ」だと思う。自分達で出資しながらスタジオを運営し、無料でヨガを教えるという、どう考えても怪しげなことをしている。そもそも無料で教えるから怪しい、何か売られるのでは、宗教等の勧誘があるんだろう、などと思うのは今までの常識から考えた解釈なんだけど、そう思うのも分かる。
※マネージャーとして一応言っておく、何も売らないし勧誘もしないので安心してお越しください。🙆
そんな怪しげな?メンバーで開かれるサットサンガの時間は、無意識を意識化する大切な場所になっている。相手の言葉を聞くだけでなく、対する自分の言葉や話の中で思ったことにも無意識を感じ、それを掘り下げ、解釈をはずし、自分をアップデートする。(文章にすると簡単な気がするが、すんなりいくことはない。)
この場所でその体験ができること、本当に感謝している。そしてこの場所に入った自分にも、感謝している。
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2012年の秩父。
当時の会社の日帰り旅行にて。
このあと私はヨガに出会い、7年後の今、2019年にこの地で寺ヨガリトリートに参加することになる。今から楽しみで仕方がない。
以前の私であれば、ここでも起こってもいないことに不安を感じたり、自信をなくしたりしていただろう。
今の私には、眠れなくなるような漠然とした不安はない。勉強したいことに、理解が追い付かないとか、あれをやるにはどうしたらいいのかが分からないとか、そういう不安はあるけれど。このまま一つ一つ取り組んでいけば解消されていくと分かっていること。
だんだんと、自分がどんなものかが分かってきたのかもしれない。マトリョーシカのようにしつこく箱を重ねてきた私は、この一年何度もその箱を破って捨ててきた。だいたいのものはいらなかった。そして、素晴らしく気のきく、優しくきちんとした私はどこにもいなかった。自分は本当はもっと出来るはずと過度の期待をして、出来ない自分を懸命に隠していただけだった。
きっとまだまだ、箱は重なっているのだろう。