私とわたし

ヨガとあれこれ

ロボット

「タダヨガ」メンバーとのサットサンガに向かう途中の電車から、これを書いている。

 

6時には子どものお弁当を作り終え、朝食を準備して、子ども達を送り出し、少し体を伸ばして、なぜかそこからゆっくりしてしまっていた。

夫にダラダラ友人のことや、ヨガのことを話しながら、なかなか動けず。掃除機だけかけて洗濯物を夫に託し、白髪染めをしていない頭をキャップで隠して車で駅に向かう。そこでまた何故か反対方向に走ってしまい、駅についたら電車が遅れていた。完全に遅刻だ。

 

ぼーっと電車に乗る。景色が動く。自分は動いていないのに、まわりが動いていく感覚を味わう。

 

ブログを書こうとスマホを出し操作し始めた途端、突然車両に乗っている人たちに馴染んだ気がした。

AIの世界が頭に浮かぶ。今自分も、ロボットになっているんだろうか。

 

 

サットサンガ後の、後編につづく。(?)

 

 

 

自信がないという傲慢さ

桜が好きです

パッと咲いてあっという間に散ってしまう桜

 

桜には悲しい思い出もあって

やさしい思い出もあって

複雑な気持ちだったけど

 

ここ数年でまた

好きですと言えるようになりました

 


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子どもの頃からずっと自分に自信がなくて、自分には何もないと思ってきた。悩んだり戦ったり逃げたりしながら、気が付いたことは「自信がない」のは「自信がある」の裏返しだったこと。

自分はもっと出来るはず、もっと能力があるはずという傲慢な気持ち。でも今は失敗するかもしれない。認めてもらえないかもしれない。バカにされたくない。だから、やりたくない。

結局、自信がないという言い訳を謙虚なふりして使いまくり、行動を起こさず、自分には何もないと思いながら内心(でもまだやってないから、本当にダメかは分からないよね。)という逃げ場を残している。そして、その何もしていない自分に自信をなくす謎のループ。

 

やったことがなくて、でもちょっとはできるんじゃないかと思うことって、やってみるとだいたいできない。想像と現実は違うものだ。

 

人にもっとこうした方がいいのに、と上から目線で思っていたことも、やってみると簡単には出来ないことだったのだと分かる。やらなかったらずっと勘違いしていたのだと思うと、恐ろしい。そもそも自分は上から目線で見下ろしていると思っていたことが、実は相手の足元で騒いでいただけだと気付く。他人から見て失敗していたとしても、行動している人が本物なのだろう。

 

最近の私は、人から見れば結構な失敗をしていると思う。格好悪いし、恥ずかしい思いをすることもある。(ということは、まだまだ自分は出来ると思っているのだろう)

何だか分からないけど、大丈夫?って言われたり、ドン引きされることもある。最初の頃は少し不安になったけど、今はそれを嬉しく思っている私がいる。ほれ見たことか、と言われても、ダサくても、全然かまわない自分を確かめる。

そして、そんな私を素敵だと言ってくれる人もいる。全然素敵じゃないのが素敵、と半分ディスっているようにも聞こえるが、言ってくれようとしていることは分かる。きっとこの人も私なのだろう。

 

 

不格好な自己開示

私は昨年から「ヨガインストラクター」として活動しています。

まだまだ、試行錯誤中。

というより多分ずっと試行錯誤中で、そうしていきたいとも思っています。

 

私が新米だから、という理由だけではなく

ヨガの「先生」という名前があるから

全てが分かるわけでも

迷わないわけでも ありません。

 

どこかが痛い日も、不調がある時もあるし

心が沈んでいる日も

自分の心が分からなくなる日もあります。

 

それが、当たり前で

だから、私はヨガをしています。

 

ヨガを「伝える」立場になった時

そういうことを言ってはいけないような気がしていて、迷いがありました。というか今も迷ってます。

 

でも私のヨガの先生は技術や知識だけでなく【生き様】を見せてくれる先生で、

私はそこに自分の希望を見つけてここに来たので

 

私が不格好で正直な気持ちを表に出すことによって、それを見てくれた誰かが何か(批判も含めて)を感じたならば

それこそが私がヨガを伝える意味なのかな、と思うのです。

 

 


・自己開示とは、自分自身に関する情報を、何の意図もなく、言語を介してありのままに伝えることを指して言う。しかし実際には、本人が自分自身の姿を正確に認識していない場合や、受け手側の意図が入り、誤認する可能性もあるため、必ずしも一定の意図のもとで伝達できるとは限らないと言える。

(コトバンクより)

涙ポイントの訳を探る。

私は、感情に左右されない人間だ、

と思っていた。

(特に、負の感情)

 

つい最近、そうではなくて

そうあるべきだ

そうでなくてはいけない

と思ってきたことを知った。

 

薄々気付いていた。

目をそらしていた。

それも、知った。

 

そのあとから

感情が溢れてくることがある。

 

一つ、試してみようと思った。

 

初めて見たとき号泣しそうになり

必死に堪えて嗚咽を押さえながら見た動画。

魂が揺さぶられる気持ちになり

なぜ涙が出るのかさっぱり分からず

それから

たまに聞いてはちょっぴり涙を流す

私の心の曲。

その動画を久しぶりに見てみようと。

 

 

葉加瀬太郎エトピリカ


葉加瀬太郎さん チャリティーコンサート "エトピリカ" - YouTube

 

ひまわり


葉加瀬太郎さん チャリティーコンサート "ひまわり" - YouTube

 

震える。

号泣してみて、しばらく

ぼーっとしてみて

 

分かった。

動画の中の葉加瀬太郎

私の中の父に似ていたのだ。

 

学歴もなく

スーツも着ない

バイオリンなんて弾かない

 

作業着で

ギターを弾いて

フォークソングを歌う父

 

子どものようにやんちゃに笑い

人と音楽を愛する

優しい眼差しで私を見る

私の大好きな父

 

 

 

 

 

 

明かり

幼いとき

車から見えるマンションの明かりが苦手で

一つ一つの明かりに

人の生を感じて

怖く切なくやるせない気持ちになった

 

少し前

電車の窓から見た、その明かりを

ぼんやり見ていた自分に気付いて

そのことを思い出した

 

 

昨日の夜

車から見えたマンションの明かりが

とてもきれいで

 

ただ、きれいだと思った

 

ただ、思った

 

 

 

言葉

言葉は嘘をつく

 

心で感じて

頭で考えて

息を吸って

息を吐きながら

声帯を振動させて

喉から 口から

音になって響いて

私の中から出ていくその時には

別のものになっている

 

この複雑な作業を

シンプルにしたいんだなぁ

 

ん?作業はシンプルなのか

 

私の中のフィルターを通って

その時にあれこれくっついて

あれこれ残して出ていくだけ

 

そのままを、なるべくそのまま

口から出すには...

 

 

 

 

 

14歳 ②

思えば14歳の頃私は

金髪にして家出して

人も自分も傷つけて

これでもかってくらい

ギザギザハートだった(古っ)

 

私は基本的に真面目で平和型なのに

何かを超えると急に攻撃的になるらしく

0から100どころか200になる

 

16の時は

ある日友人と突然

新しい暮らしをしよう!と終電で渋谷へと行き

なんだか色々流れた結果、予備校生がたくさん住んでる風呂なしトイレ共同のボロボロのアパートで少しの間暮らした

クラブで奢ってもらったり

予備校生達が親から送ってもらっている食料を厚かましく食べたり

テレクラのティッシュを配ったり

パー券を売ったりしてなんとか食いつなぎ

なぜか友人と割り勘で華原朋美のCDを買った

食料を買えよと思うけどね

そういう気分だったんだろう

結局その後、姉の彼氏に捕まり私達のこころのままの暮らしは終わって

その暮らしを共にした友人も今は死んでしまったんだけど

たまに、あの予備校生達はどうしているかなと思う

 

 

あの頃は自分で自分をめちゃくちゃにして

やっと生きていると思っていたし

そうするしかない気がしていたけど

 

破壊して、再生したかった

ただそれだけだろう

 

あ、わたしはとことん生きたかったんだな

生きてるって感じるには再生が必要で

再生するには破壊が必要で

なんかそういうくだりが好きだったんだろう

 

大人になってめちゃくちゃとか

そういうのダメよね

母として、常識的に

と思って暮らしてきて

 

普通のお母さんになりたくて

常識的で、正しいお母さん

そこ目指して、いっぱい着ぐるみ着てきて

いい加減重すぎて立ち上がれなくなって

それも気がつかなくて結局神経症になって

そこも認めたくなくて抵抗して

チーン

 

 

去年の後半から

多分自分に戻りつつあるのを感じていて

私は清廉潔白なんか全く好きじゃなくて

くそだな!!!とか

どーでもいい とか

これは譲れないわ とか

そんな気持ちを感じているのは20年ぶりくらいかも

 

お祝いに金髪にでもしよっかな、なんて思ってる

39歳の私から

14歳の私へ

大丈夫だからとりあえず、生きよ。