声とチャクラ
先週から声が出なくなった。
風邪から声帯に炎症がおきただけなんだけど、5日目の今、まだ治らない。
大切なプレゼンも出来ず、仕事も休み、楽しみにしていた予定もキャンセル。
月1のアシュタンガヨガ講座は話せないスタッフとして参加し、気遣いもほとんど出来ず、自分に負けたような敗北感と共に、そもそもいつも何も出来ていないじゃんと思う。
何度も特別な何かが出来る自分を期待している【わたし】を見た。
声が出ないと人にこのタイミングで声をかけたい、というときに出来ないということを知った。
コミュニケーションについていかれず、孤独だということもわかった。
病院でも、はいの一言が言えないだけでお互いとても手間がかかるし、症状を紙に書いて知らせても、補足を説明するときにまた時間がかかる。忙しい人たちに、面倒くさいなというエネルギーを感じる。あ、これは解釈だな。私自身が面倒くさいのだ。
私には声があまり出ない甥がいるんだけど、その子の気持ちにほんの少し寄り添えた気がした。ずっとずっとこうなんだ。って。辛い。
私は子どもの頃から喉と首がとても弱かった。扁桃腺も限界でとったし、その傷口がふさがらず再手術もした。甲状腺にも線腫があり、健康には問題ないが、定期的に検査をしている。パニック障害のときも、喉を締め付けられる感覚があったし、幼い頃から繰り返した金縛りでもいつも喉を押さえつけられている感覚があった。
ヨガを本格的にはじめてから高熱で寝込むことはほとんどなくなったけど、それまでは月1でやらかしていた。
のど=第5チャクラ、ヴィッシュダ
→自己表現、創造性の開花
ぴったり、私が弱く、今チャレンジしているところ。
『わたし』はまだ抵抗しているのか。
その理由はいくつも思い当たるけれど、なぜ?の繰り返しの最後にたどり着くのは共通して何者でもない自分を完全に受け入れていないことだった。
はっと気が付いて捨てる。この繰り返しの作業に終わりはないのだと思いながら、わたしの無意識はいつになったらわかってくれるんだろうかとも思う。
喉をもっときちんと大切にするという決意と共に、わたしの弱さも受け入れ、打破していくことを、今、741Hzのソルフェジオを聞きながら決めた。