私とわたし

ヨガとあれこれ

自信がないという傲慢さ

桜が好きです

パッと咲いてあっという間に散ってしまう桜

 

桜には悲しい思い出もあって

やさしい思い出もあって

複雑な気持ちだったけど

 

ここ数年でまた

好きですと言えるようになりました

 


f:id:cherryblossomkun:20190407205913j:image

 

..........................................................

 

子どもの頃からずっと自分に自信がなくて、自分には何もないと思ってきた。悩んだり戦ったり逃げたりしながら、気が付いたことは「自信がない」のは「自信がある」の裏返しだったこと。

自分はもっと出来るはず、もっと能力があるはずという傲慢な気持ち。でも今は失敗するかもしれない。認めてもらえないかもしれない。バカにされたくない。だから、やりたくない。

結局、自信がないという言い訳を謙虚なふりして使いまくり、行動を起こさず、自分には何もないと思いながら内心(でもまだやってないから、本当にダメかは分からないよね。)という逃げ場を残している。そして、その何もしていない自分に自信をなくす謎のループ。

 

やったことがなくて、でもちょっとはできるんじゃないかと思うことって、やってみるとだいたいできない。想像と現実は違うものだ。

 

人にもっとこうした方がいいのに、と上から目線で思っていたことも、やってみると簡単には出来ないことだったのだと分かる。やらなかったらずっと勘違いしていたのだと思うと、恐ろしい。そもそも自分は上から目線で見下ろしていると思っていたことが、実は相手の足元で騒いでいただけだと気付く。他人から見て失敗していたとしても、行動している人が本物なのだろう。

 

最近の私は、人から見れば結構な失敗をしていると思う。格好悪いし、恥ずかしい思いをすることもある。(ということは、まだまだ自分は出来ると思っているのだろう)

何だか分からないけど、大丈夫?って言われたり、ドン引きされることもある。最初の頃は少し不安になったけど、今はそれを嬉しく思っている私がいる。ほれ見たことか、と言われても、ダサくても、全然かまわない自分を確かめる。

そして、そんな私を素敵だと言ってくれる人もいる。全然素敵じゃないのが素敵、と半分ディスっているようにも聞こえるが、言ってくれようとしていることは分かる。きっとこの人も私なのだろう。